募金の趣意

平良新助は、明治9年今帰仁村に生まれました。首里にある中学在学中から謝花昇氏や当山久三氏らに感銘し、自由民権運動を担う一番若い同志として活動しました。明治30年奈良原県政が推し進める杣山の開墾強行に対し、新助翁は27名の総代とともに交渉団体を組織し、長い闘いの末今帰仁村における反対運動を勝利させました。
また、海外移民の重要性を唱える当山久三氏の考えに共鳴し、海外雄飛の夢を抱くようになりました。明治33年、海外雄飛に備え上京して英語を学んでいた新助翁に対し、当山久三氏から第1回ハワイ移民団の実情調査と安否確認を依頼され、明治34年ハワイに渡航しました。移民団と耕地労働を共にしながら、移民団の動静を把握し、ハワイ移民の優位性を当山氏らに報告しました。さらに、明治36年当山久三氏率いる第2回ハワイ移民団を現地で引き取り、様々な困難を新助翁の英知と献身的な活動で移民団を定着させ、ハワイ移民の基礎を確立しました。
移民団の定着を見届けた新助翁は、明治37年かねてからの念願であった米本国へと移住します。サンフランシスコを振り出しに様々な苦労を重ね、遂にはロサンゼルスでホテルを経営し成功を収めました。経営者として活躍する傍ら日本人会・沖縄県人会などの要職を務めるなど移民団の生活と地位の向上に献身的に活動しています。大正13年に帰省した折には、移民保護を目的とする海外協会設立に奔走し、県会議事堂で官民一致の設立総会を開かせました。
昭和28年、52年に渡る渡米生活に別れを告げ荒廃した郷土に立ち、半世紀前に当山久三氏が移民を声高に叫び胸に描いた沖縄人の姿と、郷土の復興に立ち上がる県民の姿に思いをはせて詠んだ一首が『七転び転で ひやみかち起きて わしたこの沖縄 世界に知らさ』のひやみかち節の一節です。昭和40年、移民の功績が認められ、琉球新報賞を受賞しました。
私たちは、新助翁の示した「自主自立の精神・七転八起の心・海外雄飛の気概」を学び、後世に伝えていかなければならないと強く感じ、新助の偉業を称え、その意思を受け継ぐ場として記念碑を建立するための期成会を立ち上げました。
つきましては、多くの皆様にご賛同いただき、記念碑建立のための募金に対しご協力いただきますよう心からお願い申し上げます。